2年目教員が抑うつ状態で休職になった話

教員2年目にて抑うつ診断→3か月休職。無理に頑張っちゃだめだと気付きました。

劣等感で這い上がってきた人間、それが私

 皆様こんにちは。ゆっくりぱんだと申します。

 

 本日も遅い時間になってしまったので軽めで行きたいと思います。最近はやりたいことが沢山あって追いつかない状態です。逆に言えば、少し元気が戻ってきたということなので、前向きに捉えていきたいですね。

 

 さて、今日は少し私のことについてお話します。

 私は自分のことを一言で表すと『劣等感の塊』だと思っています。自己肯定感も自信も全くないんですね。

 

 しかし、私は自分の生い立ちを考えると、そうなってもまあ仕方ないのかなと思います。私は人が好きですが、人と話すことは苦手です。小学生の時にいじめられたり、容姿をからかわれたりしました。名前も昔は変なあだ名をつけられて好きではなかったです。

 

 高校生の時には、仲良くしていた女の子からブスと言われました。他の友達もいる中でからかい気味に言われました。その時の私は、笑顔でどうせブスですよ~と言いましたが、内心泣きそうでした。

 

 こんなそんなで高校生あたりから劣等感を強く意識し始めました。私は他の人よりも劣っている、ダメな人間だと。

 

 ただ、全く努力しなかったわけではありません。私はとても控えめで友達も少なく、はしゃぐということが苦手でした。高校生の時にこのままじゃだめだと思い、文化祭のクラスの紹介チラシを代表で作成しました。合唱コンクールではピアノ伴奏に名乗りでました。同期が皆辞めた中、部活で部長をやりました。私は何か変わらなければと思ったからです。

 

 結果、私の環境は変わりませんでしたが、少し自信はつきました。

 

 受験の時、必死で勉強しました。誰よりも長く学校で自習をし、休みの日は朝から晩まで自習室にこもりました。自分は誰よりもバカだと思っていたからです。成績は学年10位以内常連となり、割と有名な大学に進学できました。

 

 大学で入った部活では、誰よりも練習をしました。私はひどいスランプに陥ってしまい、誰よりもへたくそだったからです。へたすぎて先輩から見放されていました。私は泣きながら沢山練習に費やしました。その結果、部活の成績は他の部員を追い抜き、賞獲得・部員の代表として全国の大会に出ました。私を見放していた先輩含め、みんなから賞賛されました。

 

 そして今、私には何もありません。普通に仕事をして、普通に生活することができなくなりました。私は普通が出来なくなったのです。何もないのでひたすら勉強しています。今誰よりも勉強しています。もうこんなことにならないように、私が環境を選べるようになればと思い。

 

 私はできないことが多いです。その分努力をして、周りが驚くような結果を出してきました。苦しかったことの方が多かったです。自分を、周りの人を恨みました。

 

 でも、自分を変えられるのは自分だけ。ですので、私は今お休み期間ながら必死に勉強しています。

 

 でも、これからはもう少し自分を認めてあげたいです。自分はこのままでいいんだよなって、胸張って言いたい。それまでは自分のできることを精いっぱいやっていきます。

 

ということで、本日もありがとうございました。では(^^)/